日曜日のBBQよりも、平日のお茶を。
多様性との交流,地域共生,いろんなワードがアルファルファのようなスピード感で生み出されては浸透していく.この激流みたいな世の中はエキサイティングですごく好きなんだけど,ワードの誕生と実世界のスピード感が合ってないような気がする.なにか捻れてる体感がある.
ダイバーシティ概念はまちづくりにおいてとても大切だし,交流は生み出されてしかるべきだと思っている.
でもそのための仕掛けがあまりに多くなりすぎていないか….交流を生むことが目的じゃなく,それは手段なんだと思う.
一過性の交流には意味はなくて,そこから何が生み出されてどう続いていくのか…そこが大切なんだろう.仕掛けを作らないといけない時代になったことはよくわかる,でも仕掛けに注力しすぎている気が,僕にはする.
「生活を共有するということは日曜日にバーベキューをすることではない」
この言葉は平成30年11月30日に開かれた日本建築学会住宅系研究報告会のパネルディスカッションでコーディネーターの日本大学久保田先生がある方の発言を引用した際に聞いた言葉だ.
日曜日のバーベキューをする.
バーベキューはとても楽しい,美味しさを共有できるし,素晴らしい交流の時間が生まれる.でもそれはあくまでも「非日常」の交流なんだと思う.
非日常を作り出すことは思いの外簡単で,変わったことをすればいい.規模の大小を問わず,それは共通している.田舎でオシャレな古民家リノベジェラートショップをつくることと毎週末イベントを開催して人を集めることは同じ表情に見える.確かに交流は生まれる.
日曜日のバーベキューは生活の共有にならないということは「突飛なファクターは人目を引くだけで継続性がない」ということだろう.
次々と新しいバーベキューを企画し続け,飽きられたらそれは終わる.
交流することが義務的になっていくのは息苦しい.それより「お茶でもどうぞ」でいいんじゃないかな.だから日曜日のバーベキューはたまの楽しみにして,平日,一緒にお茶を飲もう.生活を共有するってその程度のことでいいんだと思う.だからお茶を淹れる,コーヒーを淹れる,人と人が「その程度」で集まって「また明日」を生み出すことが,生活の共有なんだろうと,今のところ思う.
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